私がしているのは、重要な事ではないが、必要な事だ
チェ・ゲバラ
チェ・ゲバラの名言#1:万事において夢想家たれ
不条理に抗い続けたチェ・ゲバラは、自分たちがしていることに対して上記のような名言を遺している。
チェ・ゲバラといえど、あくまでひとりの人間に過ぎない。人間の大部分を規定するのは確実性ではなく、不確実性だ。
30年後の自分をはっきりとイメージできる人間などいない、とすれば自分の行動の帰結もまた、未確定な未来に過ぎない。
それでも、不確実な未来に夢を見て、生きる事は、「大事を成す」ために必要なことではないだろうか。
少なくとも、チェ・ゲバラは夢に生きた男だったのだ。
チェ・ゲバラの名言#2:明日死ぬとしたら、生き方が変わるのか?
この名言こそ、「チェ・ゲバラだからこそ」の名言ではないだろうか。
革命家として常に死と隣り合わせで生きてきたチェ・ゲバラは、今日一日を生きることの大切さを誰よりも理解していた。
常に本気で生きることこそが、人間の本懐——“人生の本懐”であるのかもしれないと思わせる名言だ。
チェ・ゲバラの名言#3:高い台座に上って、国民の生活と無縁なところにおさまるべきでない
チェ・ゲバラの革命家としての名言は、己の位置を鑑みることの重要性を再認識させてくれる。
会社で高い地位を築き、人に扱われる立場から人を指導する立場になると、潜在的なサディスティックかつ卑劣な部分が働き、自分の立場を行使して権力を振りかざす人も少なくない。
チェ・ゲバラはあくまで“革命派のリーダー”だ。己の座すべき場所が国民とは違う高みにあったとしても、高みの見物をしていては革命家にとって重要な“国民の本質”は見えなくなってしまう。
自分が導く人間と同じ境遇に立ってこそ、その者の現状が見えてくるということを示してくれる名言である。
チェ・ゲバラの名言#4:指導者とは、人が自分と同じところまで追いつけるように誘導するものだ
“指導者”としてのチェ・ゲバラが遺したこちらの名言。
言葉で叱ったり強要したりするのではなく、自分と同じレベルまで引き上げようとすることを説いている。
部下を自分と同じレベルに引き上げられる人こそが真の指導者であり、その先にチームとしての大事は成せるのだ。これは会社というチームにおいても同じことだろう。
世界と闘った男「チェ・ゲバラ」の生き方・名言に対して、どのような印象を受けただろうか。
受ける印象は人それぞれではあると思うが、彼の行動をすべて「当たり前」のようにできている人は少ないだろう。
哲学めいた名言たちではあったが、伝え得る部分は非常にシンプル。これらはチェ・ゲバラが後世に遺した魂の咆哮と言っても過言ではない。
生き方は人それぞれ、考え方も人それぞれ。とはいえ、人は人ゆえ、そこには一本の芯のようなものはある——「自由でありたい」という心だ。誰かに縛りつけられることは、そういった人間の自由への希求を奪ってしまう。
部下に対して、家族に対して、彼女に対して、自分の行動に“不条理”なことはないだろうか?
そこに不条理があれば、亀裂は深まるばかりだ。愛のある不条理と愛のない不条理、これらは大きく乖離している。
今一度、チェ・ゲバラの名言から自分の行動を見つめ直してみてほしい。
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